市長だの知事だの、直接偉い人を選ぶ選挙は候補者の主張する事に現実味があると思いますが、衆議院議員なんて、国会決議の時の一票の重みは学級委員を決める時の一票より比率が低いくらいです。
公約だのマニフェストだの言ってますが、そんなものに議員が拘束される法的な縛りはありません。聞くだけ無駄!とまでは言いませんが、聞いても虚しさは残ります。政党の掲げるマニフェストの一つ一つに署名でもされていれば、まだ知的財産としての有効性が担保されると思いますが、それも見た事がありません。学生の論文より責任が無いとの見方も出来ます。
知名度・人気だけで選んじゃ駄目!等と言う人がいますが、逆が真な保証はどこにもありません。つまりどっちでも良いはずです。第一、有権者の目に一番留まり見る機会が多いのが、顔と名前が一番目立つ選挙ポスター。人気・見た目・知名度以外で選ぶ判断材料の方が少ないと思います。
そもそも、民主主義制度が普及し始めた100年くらい前なら、社会を取り巻く情勢が今よりも単純だった為、一人の議員に全権を委託する間接民主制で良かったのかも知れませんが、今の複雑な社会においては、ある程度の分野分けをして個別に議員を選んだ方がより民意が反映されると思うのです。
『○○が今回の選挙の争点だ!』『××は今回の選挙の争点ではない!』という主張は全て正解であり間違いでもあるのです。省庁の数だけ個別に選挙すれとは言いませんが、なんとか委員会で国民のフィルタリングもかけられてない変な有識者が適当な意見述べてる状況は歯がゆ過ぎます。
こんな意見は遠い夢の世界なので、未だに誰が候補者なのかわからない平凡な選挙区に住む者としては対立構造が面白い広島6区候補の対決を放送するらしい、今夜のTBS系ブロードキャスターを楽しみに待とうかと思います。政は祭り事ですよ!
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